当美術館では、絵画をはじめ、
彫塑・陶磁器・工芸品など、幅広く収蔵しております。
その中から一部をご紹介致します。
ルノワールは1900年ごろから神経痛を病み、のちパリを去り南フランスのカーニュに移った。
手足が不自由になり、車いすの生活になっても絵を描き続けた。「描くのと歩くのとどっちを選ぶかといえば、やはり描くほうが好きなんですよ」と語っていたという。彼は自然の中の裸婦群像を繰り返し取り上げて、そこに自然と裸婦の合一を見ようとしている。
晩年、ますます豊潤な色面に満ち、描く悦楽があふれた。病の進展と時を同じくして、彼の芸術は開花していったともいわれる。
作 者 | オーギュスト・ルノワール(1841~1919年) |
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画 種 | 油彩(50.0 × 59.5cm) |
やさしい丸い形態。宝石の輝き。豊満な肉体を、情熱的な深度を深めた色感で描いたルノワールの裸体画の数々。それらは画面いっぱいに官能の愉悦を繰り広げている。
「もし女の乳や尻がなかったなら、私は画を描かなかっただろう」と彼は言った。彼は女体に美の極致を見出し、日常生活の描写を捨てて、晩年はひたすら裸体に閉じこもり、尽きることのない生への賛歌を高らかに歌い上げている。
作 者 | オーギュスト・ルノワール(1841~1919年) |
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画 種 | 油彩(50.5 × 39.0cm) |
岸田劉生は、38歳の短い生涯のうちにも、もっとも独創的な芸術的境地をつくりあげた近代日本の画家のひとり。静物画や人物像を得意とし、娘麗子の成長をみれる作品の数々は有名である。
1918頃から22年頃にかけて数多くの於松が描かれ、同時代に娘の麗子も描かれている。確実な写実描写と適宜な装飾性がからみあい、村童の感じが十分に表現されている。
その後の人物像でも時代が下ってくると劉生の東洋画指向がみられるようになる。
作 者 | 岸田 劉生(1891~1929年) |
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画 種 | 油彩(45.5 × 37.9cm) |
橋本関雪は、はじめ四条派について、のち竹内栖鳳につくなどしたが、晩年は全く独自の制作を続ける。その作風は、まことに貪欲で、あらゆる流派のものを取入れ、のち南画的色彩の濃い作風となる。
この『瑞禽』は晩期の作。「瑞禽」とは鶴が生まれたばかりの子鶴を抱く図で迫真力をもって訴えてくる愛情の交流が伝わってくる。
作 者 | 橋本 関雪(1883~1944年) |
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画 種 | 絹本彩色額装(65.5 × 73.0cm) |
主として茶碗で、幕釉、白べっこう釉、蛇蝎釉、砂釉、朱釉など創意工夫がある。作品にはノンコウ七種、ノンコウ加賀七種、ノンコウ後窯七種など有名である。
この赤茶碗は稀に見る大振りにて、濃茶に良く、作行きもへらを巧みに用い、口造りも良く、胴から腰、見込み茶溜にいたるまで非常に奥深きノンコウ独特の 作行きである。高台もしっかりとでき、非の打ち処のない茶碗である。釉も赤が主体であるが、客付けに白べっこう釉が表れ、景色を表している。
高台内には表千家三代の宗旦の判が漆で描かれ、さらに歴代宗匠の書付があり、約四百年の間、夫々の宗匠が愛玩し、今日に伝来した貴重なる茶碗である。銘多福とあり誠に茶碗の大振りにぴったりとした銘である。銘印は大小二種あり、楽の字の中の白が「自」になっているのが特徴にて「自楽印」と称される。
作 者 | 道入ノンコウ(1599~1656年) |
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サイズ | 11.0×15.5×15.5cm |
九代了入は、楽家中興の名工と称され、へら使いにすぐれ、かけ分け技法を創案する。この茶碗は晩年の作。
黒茶碗は特色の幕釉と蛇蝎釉が施され、口造りも五岳になっており、高台も土見せになっている。赤茶碗も、黒茶碗と相対的で、赤釉の中に窯変に依り黄色が生じ、形態もよく、一双入としては名碗であり、了入快心の作である。その時の表千家家元了々斎宗匠が 特に、黒茶碗に残菊、赤茶碗に花衣と銘を付けている。
了入は了々斎宗匠より、了の一字を贈られ、了入と号した程名手である。
作 者 | 了入(楽家九代)(1756~1834年) |
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サイズ | 赤:8.0×11.5×11.5cm 黒:8.0×12.0×12.0cm |