三甲美術館は三甲株式会社の歴代社長が収集した美術品を広くご覧いただくため、1988年に開館致しました。
展示作品はルノワール、シャガール、梅原龍三郎など。洋画を中心に、日本画、彫塑、陶磁器、工芸など幅広いジャンルを展示しております。
当館は別名“沙羅双樹の館”と呼ばれ、館内周辺には沙羅双樹の木が並び、お花は6月に見頃を迎えます。
一年を通し、演奏会や講演会、公募展など様々な催しも行っており、人々に親しまれています。
昭和48年(1973年)1月 | 「三法荘」竣工。三甲株式会社の迎賓館及び福利厚生施設として利用される。 |
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昭和63年(1988年)1月 | 開設15周年を機に、「美術館 三法荘」としてスタート。 茶室「甲子庵(こうしあん)」を新築。 |
平成10年(1998年)9月 | 岐阜市長より、岐阜ふるさと文化賞受章。 |
平成14年(2002年)3月 | 財団法人化、名称を「財団法人三甲美術館」と改名。 |
平成15年(2003年)2月 | 岐阜観光コンベンション協会より、観光コンベンション事業厚労団体として表彰。 |
平成19年(2007年) | 2階常設展示室を改装、和紙彫塑「革命者 信長」を展示。 |
平成20年(2008年) | 登録博物館に認定される。 |
平成23年(2011年)3月 | 公益財団法人に認定される。 |
平成26年(2014年)8月 | 日本郵便株式会社岐阜中央郵便局長より、郵便事業への貢献に対する表彰 |
平成27年(2015年)8月 | 日本郵便株式会社東海支社長より、郵便事業への貢献に対する表彰 |
当館の始まりは昭和48年(1973年)、三甲株式会社の迎賓館及び社員の福利厚生施設「三法荘」として3年余りの歳月をかけ建設されました。
館内には初代会長・丹羽治助が愛した茶道具や書画骨董、2代目会長・後藤甲子男が愛した絵画が並び、美術品鑑賞と相俟って親しまれておりました。美術館への公開運営は「美術館として一般公開されたら如何が」とご来荘者からのお薦めにより企図されました。
基本的に美術館として建設されていない事から、当初は一般公開の予定はありませんでしたが、故・丹羽治助の「個人法人を問わず、美術品は全て国家社会の宝物である。私するべきではない。お金を出して預からせていただいているのである」という言葉に基づいて、“全てこの世の預かり物”である事を実現・実施するため、三法荘開設15周年を機に「美術館 三法荘」としてスタート致しました。茶室・甲子庵は新発足を記念して建てられたものになります。
その後、平成14年(2002年)3月より「財団法人 三甲美術館」となり、平成20年(2008年)11月に博物館として登録をしていただくことになりました。そして平成23年(2011年)に公益財団法人認定を受け「公益財団法人 三甲美術館」として現在に至ります。
展示品はすべて所蔵のもので構成されています。所蔵品は洋画、日本画、彫塑、陶磁器、工芸など幅広い分野にわたり、ルノワールやシャガールといった世界的な巨匠をはじめ、梅原龍三郎や横山大観など我が国が世界誇るアーティストの傑作など約500点近く、季節に合わせて展示替えを行っています。
館内からは金華山・岐阜城を背景に、日本庭園を望むことが出来ます。庭園は自然の野山をそのままモチーフに、春夏秋冬の季節の移ろい感じさせ、茶室・甲子庵の侘び寂びと共に、儚くも美しい美の世界に触れることができます。
当館では一年を通し演奏会、公募展など季節に合わせて催し物が行われます。当日は多く人で賑わい、世界の美術品と共とも感性溢れる芸術的な空間に浸ることが出来ます。
長良川河畔、かつて戦国の舞台とした金華山を望む高台に位置する当館は、寝殿造りを基調とした日本の伝統的な建築様式が用いられ、正面玄関には平家物語をテーマとした織物が掲げられています。
館内周辺には沙羅双樹の木が植えられており、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」の歌にあるように、沙羅の花は開花して一日で散ってしまう儚さがあります。平家の栄枯盛衰を思い浮かべ、驕ることなく会社の隆盛と社員の益々の奮闘するよう願って美術館に表現したものであります。
当館は別名“沙羅双樹の館”として親しまれています。開花時期の6月には琵琶の弾き語りが行われ、儚くも美しい可憐な白いお花のもと、琵琶の音色と平家物語の歌が響き渡ります。
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